この準備がアタシにとって、沢山の学びや気づきをもたらしてくれる。
中に入れたものを外に出す作業は何倍にもなってギフトとなるんだな。
今回も先ほど大きなギフトが降ってきた!!!
明日のLv1で一番伝えないこと、体験して欲しいことをノートに殴り書き。
『「感じる」と聞くと、すぐに感情を探してしまいがちだが、感覚にひらくこと・感覚にいることが大事なの。
感覚が豊かであればあるほど、感動も増え、いきいきする。
逆に、感じることが少なく、感覚が閉じてしまうと、無感動・無気力になっていく。』
そんな事をまとめながら、昨夜パートナーとの会話を思い出した。
アタシと息子の仲良いことが、気持ち悪いと。
うん、確かにかなり仲がいいと思う。
いや、仲がいいと言うより、アタシが一方的に息子を愛しすぎてるのかも?!
そんな事を振り返っていたら、「アハ体験」!!
アタシは、幼少期メッチャ閉じた人だった。
恐いとか、寂しいとか、悲しい・悔しい・恥ずかしい、もちろん嬉しいや楽しいも、あまり感じない。
あげく、痛みだって感じなくなってた。
たぶん、神経までも麻痺してたんじゃないかな。
注射もお化けもスピードも恐くなかった(明菜ちゃんの歌か!?笑)
うん、身体であれ心であれ痛みが分からなかった。
色々な場面で、感じることや感情を表現することを禁じられていたからだ。
幼少期にプログラムされたものが、大きくなるにつれ、分厚い壁となる。
けれど、成長と共に違和感も感じる。
自分の存在意義を考え出すも、自己否定が強く、自分を消してしまいたい衝動に駆られる日々。
リストカットしても痛みは感じず、ただ流れる血液の温かさが自分を支えていたように思う。
大人になりはじめ、感覚を感じたかったのかな、恋愛依存に走る日々。
愛してないのに、必要とされたかったし、触れて欲しかった。
それでも、心は満たされず、刹那的に過ごす日々。
ある時、内なる声が響いたの。
「自分の子供を産む!!」って。
ワケなんか分からない、けれどどうしても産む!って。
んで、色々な反対や常識を蹴っ飛ばし、未婚出産・認知無し。
そんなことはどうでも良くて^^;
息子を産んでから、「感じること」「感情があること」「感覚」が徐々に開いていった。
「愛しい」ってこんな感じなんだ。
「可愛い」ってこんな感じなんだ。
「悲しい」って。。。「苦しい」って。。。「淋しい」って。。。。こんな感じなんだ。
息子に触れることで、いっぱいいっぱい感覚と感情を思い出して味わった。
なにより、無条件にアタシを必要としてくれる存在がいることが嬉しかった。
アタシ、生きてていいんだ。
生きなきゃダメなんだ。
ううん、生きたい!と思った。
ベタベタに愛して育てた息子は、とっても穏やかでたくましく、生きるチカラいっぱいの男になったよ。
アタシにとって息子は、人生を豊かにしてくれた存在だ。
だから、息子に触れたくなるのね(存在に触れるという意味)
そんなことに気づいたら、ちょっとラクになったよ。
今は、息子じゃなくてもアタシを豊かにすることはできる。
「感じる」ことができるから。
感じること、感覚にひらくことって、人生が豊かになる魔法かも。
あぁ、楽しいっ。