ゲシュタルトを始めると、まずは表現を沢山したくなる。

それも激しく、感情的に思いっきり「出す」ってことをやりたくなる人が多いと思う。
これ、安心安全なスペースでやらないと危険なんだ。
そのまま日常生活でやりだすと大変なことになりますよ。
確かに、表現するのは大事なこと。
今まで表現を止めてきたが為に、沢山のクセやパターン、困難を抱えてきたのだから。
怒りを表現せずに溜めると、身体のあっちこっちに支障が出てきます。
これ、身体からの信号。
すぐに耳を傾けてあげれれば良いが、長年無視し続けてきた私達は中々聴いてあげられない。
だからこそ、ワークスペースで閉じてきた、隠してきた「怒り」の出番なんだけど。
ワークスペースでやるからOKなのです。
そして、ワークしつつも怒りに支配されすぎると、アドレナリン中毒になってしまう。
アドレナリン中毒になっちゃうと、日常生活でもガンガンに表現しまくり、周りとの関係がまた上手くいかなくなる場合も。
ゲシュタルトでは、他人と自分の関係よりも、自分と自分の関係に焦点をあてます。
だから、まずは「怒り」を感じ、「怒り」に触れ、「怒り」を表現する。
でも、ここで終らせてしまうと不完全なのです。
その怒りがどこからやってくるのか、どのように自分に関わるのか、自分のどこに触れると「怒り」が表れるのか・・・・・
「怒り」ひとつとっても、奥が深く。
「怒る」ことが悪いんじゃない。
それでも、その奥にある自分との関係を見て聴いてゆくと、無意識だったパターンに気づく。
そうすると、似たようなことで「怒る」ことがほとんどなくなる。
まぁ、それでももちろん「怒り」は感じる。当たり前・・・・・
ではその次に、「感じた怒り」をどうするか。
対象となる人にどう伝えるか。
ここからはコミュニケーションの問題かな。
安全なコミュニケーション。
愛溢れるコミュニケーション。
だからと言って、自分をいつも良い人にしようってことじゃない。
相手を思いやり、自分の本当に伝えたいことに繋がる。
さっきまで怒っていた感情が、どこから来るのか、どうしたいのか、何を相手に望んでいるのか、はたまた期待してることがあるのか・・・・・
じっくり感じてると、実は怒っていたんじゃないことが多い。
尊重してもらえず悲しかったり、人と比べてしまっていたり、「べき・すべき」「〜せねば」に囚われていたり。
期待に答えてもらえず怒ってる人多いと思いますよぉ。
しかし、他人があなたの期待に答える必要はありませんの。
そんなこんなで、「怒り」に気づいたら、いきなり表現せず、感じて欲しい。
そうすることで、伝える必要のある「怒り」なのか、自分で処理・消化可能な「怒り」なのかを区別してね。
そして、伝える必要がある場合は、一方的に表現するのではなく
相手の準備を確認してから、キャッチボールをしますの。
それが、愛溢れるコミュニケーションへと繋がります。
これができるようになって、ゲシュタルトが生活の一部になってきたと言えるのではなかろうか。。。。
と、偉そうに述べてみました。
人の身体に触れて26年。
心に触れるようになって20年。
まだまだ学びの途中ですが、少しづつでも役に立てるワークをしたいと思った今日この頃。
だからといって、年数が問題なんかじゃない。
心にしても、身体にしても、精神誠意・一期一会・魂込めて接することが大事。
「今ここにいて」「あるがまま」であればあるほど、人に寄添える人間になってゆく。
そして、それを決めるのは自分。
しかし、結果はおのずと見えてくる。。。。
あぁー、恐い恐い(笑)
今月の自分塾「パートナーシップ:愛溢れるコミュニケーション」
お席あります。http://www.02.246.ne.jp/~mary/mbcj/juku.html
posted by gaaaco at 17:46|
Comment(0)
|
ゲシュタルト
|

|